川上由里子「介護生活これで安心」より
はじめに
この本を手にしてくださった皆さん、ありがとうございます。
私は静岡県の海と山に囲まれた桜海老漁のさかんな小さな町で生まれ育ちました。
ある晩、黒くて大きな往診カバンを抱えた開業医の父に、「由里子も一緒に来るかい?」と声をかけられお供しました。
車で10分、仲良しの友達の自宅で家族がおばあさんを囲んでいました。
父が心音を聴診器で聴き、脈をとり、時間を告げると、友人、家族、親戚が涙を流し、お別れの声をかけました。
「死んじゃったの?」と小さな声でそっと聞くと、父はうなずきました。私も友人のおばあさんにお別れを言いました。
往診に行くたびにボーンボーンという柱時計の音が響いていました。
その故郷の幼なじみの自宅の居間で大きな柱時計がボーンとなるたびに、私は今でもそのときの光景を自然と鮮明に思い出します。子どもの私にはよくわからないことばかりでしたが、それでも何も怖くなく、むしろ温かく心に残っています。それが私にとって初めての家族ではない人の最期を体験した時間でした。
物心ついた頃から、だれに勧められるでもなく、ごく自然と看護師になることは決めていました。
そして、悩み多く多感な中学、高校時代には悩むたびに生老病死に関する本をたくさん読みながら、援助が必要な人に、同情ではなく具体的なケアができる人になりたいという思いがさらに強くなり、看護師という職業を選択しました。
働き始めた大学病院。そこは病を抱えた人と治療や看護をする人々の空間。
ベットサイドの患者さんのケアでは、働ける喜びとともに、やさしさだけではとても通用しない厳しさを知り、人の死に向き合い生命の終末を感じるたびに、医療や自分の限界を感じました。
選択した仕事の重さとともに、患者さんから人間の命の尊さを学び、勇気をもらい続ける日々でした。
繰り返される終末ケア。業務をこなすことに精一杯ではなくなった頃、ある疑問が心の中に生じてきました。
その人なりのライフスタイルや人生観があって大切にしてきた人たちがいるにもかかわらず、なぜ人が生涯を終える最期まで医療が主役なの?
どうして最期までチューブにつながれたまま大切な家族ではなく医療職が一番近くにいるのだろう?
私たち医療に関わる専門職は貴重だけれど、関わりあう一点でしかない。
と同時に、人は医療だけではないさまざまな環境に身をおきながら暮らしていて、その日常の暮らし方こそが、いざ医療が必要となったときや命の終末の迎え方に大きく影響するのではないかということも感じ始めました。
医療だけに限定せずに、人の喜びや苦しみを理解したうえで、自分なりの関わり方を考えたい、目の前で次々と起こるケアを取り巻く世界の苦しみに取り組んでみたい、そんな気持ちが生まれていました。
日本は高齢化社会に突入し、2000年、介護保険制度が始まりました。
私は、高齢者ケア付マンション、聖路加レジデンスで入居者の看護、介護などの業務を体験した後、三井不動産の新規事業部門であるケアデザインプラザの「ケアデザイン」の考えに共鳴し、事業の立ち上げメンバーとして参加。
高齢期の暮らしに関わる相談業務全般の責任者という役をいただきました。
これからの日本は、住まいという器も、器に入る人の心も急速に変化していく、そんな予感がしました。
病気ではないけれども、真剣な悩みや苦しみを抱えている方々の声をうかがう毎日は、大きな発見や驚きの連続でした。
一つひとつのコンサルティングの反省や課題から、介護支援に関するノウハウやサービスができてゆく過程は、相談者と共同作業のようにいつも感じられ、感謝していました。
世界のトップ長寿国日本ですが、どんなに延命しても、寝たきりや質の低い生活では幸せとは言えないのではないでしょうか。私はいつも仕事のなかでそのことを念頭におきながら、相談に訪れる方々の声をうかがっています。
溢れる情報、複雑化するライフスタイル、シンプルには生きにくい現代社会。
だからこそ相手の気持ちを理解したい。どうしたら本人にとって、家族にとっての問題が解決できるか・・・・・・ケアデザインプラザの仲間たちと共に考え、感じ、試行錯誤を繰り返してきました。
高齢者の暮らしに関わる問題に直面したときに、そうなる前にぜひ目を通していただいて、いざというときに、ああしておけばよかった、と悔やむことがありませんようにとの願いから、この本を綴りました。
本書には、「問題に直面する前に知っていればよかった」という声を何度も聞いた私と、相談に訪れた方々の想いがつまっています。
医療機関から旅立った私は、ナース、ケアマネジャーというスキルをベースに、人と人の関わりの深い仕事ができることにたくさんの課題と誇りをもっています。
そして相談者の前に座るとき、自分はどうありたいかのを繰り返し問い続けています。
まだまだ経験も浅い私には、十分にお伝えすることができたか不安ですが、体験を通して、私の今できることを精一杯詰めた本です。どうぞページをめくって似てください。
私は一本の毛糸にすぎませんが、この本を手にしてくださった皆様のさまざまな色の毛糸が縦に横に編み広がって、人を包みこむ大きなあたたかいストールになるような気がしています。
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